Grass Roots

東日本に生まれ育った彷徨える民として
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「100,000年後の安全」までもまだまだ遠く
「100,000年後の安全」までもまだまだ遠く

原発ゼロ6日目。

今日は本ではなくて、映画のことを書く。

昨年上映された「100,000年後の安全」は見ただろうか?
フィンランドでの核廃棄物最終処理施設「オンカロ」建設をめぐるドキュメンタリーだ。

去年、渋谷の小さな映画館(UPLINK)で上映されていたのを見に行ったが、見終わった後で、気の遠くなるほどの長い時間を想像しようとしたが、想像すらできなかった。もう人類さえ存在しないかもしれない未来の話なのだ。

原発がこのまま停止し続けて廃炉になるという幸運が訪れたとしても、その処理にかかる時間と費用がどれくらいになるのか、考えると気が遠くなりそうな現実がある。
原発の停止は終わりではなくて、小さな始まりでしかないという現実を、忘れないようにしたい。

今はDVDが出てレンタルビデオ店にもある。新作期間も過ぎたので安く借りられるはず。

YouTubeで予告編を見ることもできる。
宇井純の『公害原論』を読み直す
原発ゼロ5日目。

『公害原論』にすべてが書かれていた、と言ったのは東京新聞の「こちら特報部」でデスクをやっている牧さんだった。それを聞いたとき、ああそうだった、なんで今までと思った。

手元の『公害原論1』の初版は1971年、これは19刷なので1980年のだが、紙は焼けて茶色くなっている。宇井さんが東大の工学部助手として自主講座を続けてきた記録がこの本だ。

水俣病を巡って、政府や企業、学会が行なってきた対応のすべてが、現在の原発の状況とそっくりそのままだったのだ。水質基準の作られ方、公正な第三者というインチキ、都合の悪いデータを隠し、批判者をつぶし、反対運動を分断していくやり方。

宇井さん、すみません。私たち、いや私は、宇井さんの仕事をただ目で追っていただけでだった気がします。この30年間、いったい何をしていたのでしょう。


「福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと 」山本 義隆
原発ゼロ4日目。

山本義隆氏は東大全共闘議長として一つの時代の象徴的存在だった。物理学の研究者としての道を断った後も、予備校の物理学講師として知られ、近年では科学史の著作を次々に発表しているが、全共闘運動後、現在の政治や社会について直接的に語った文章を見たことがなかった。その山本氏が、福島の原発事故について直接語ったのがこの本だ。

100ページあまりのコンパクトな本なのだが、日本における原子力開発と技術と労働、科学技術幻想について論じ、国家が主導する巨大科学技術開発の究極としての「原発ファシズム」から脱することを提唱している。

科学と社会について考え続けてきた人のみが見渡すことができる場所から、現在の状況について明快に説いているので、わかりやすい。
「原子力の社会史 その日本的展開 」吉岡斉
原発ゼロ3日目。

『新版 原子力の社会史 その日本的展開』吉岡斉(朝日選書、2012)

原発の危険性について書かれた本は多いのだが、日本の原子力開発の全体像を批判的に説明した本というのは意外に少ない。この本は、日本の原子力開発を批判的に記述した通史として最も充実していると思う。

核開発を巡って、科学者・政治家・官僚・産業界が何をしてきたのか、してこなかったのか、考えるために貴重な材料を豊富に提供している。

もともと1999年に出た本なのだが、久しく絶版になっていて、3.11以後に増補されて新版が出されたが、吉岡氏は科学史家として長年にわたって科学技術の社会との関わりを問う著作を出し続けている。

[余談]昨日見たら、内田樹氏が「原発ゼロ元年の年頭にあたり」と書いていた。気分としては同感だ。そこでも触れられているアメリカ政府が日本の原子力開発にどう影響してきたかも、吉岡氏の本書に詳しい。

むかし原発 いま炭鉱
原発ゼロ2日目。
何も書かないと、ただ沈黙して現実に流されて行くだけ、のように思えてくるので、ささやかでも何かを書くことにする。

これからしばらくは、この1年間に読んだ原発とそれとつながる社会的事実について書かれた本について書き記す。

今回は、最も最近読んだ本の1冊。
『むかし原発 いま炭鉱 ――炭都[三池]から日本を掘る』熊谷博子(中央公論新社、2012年)。

この本はタイトルに「原発」が付いているが、原発問題を直接扱っているわけではなく、メインは三池炭鉱の話。著者の熊谷さんはアフガンを撮った「よみがえれカレーズ」などで知られるドキュメンタリーの映画監督で、2005年に三池炭鉱の歴史と現在を捉えた「三池 終わらない炭鉱(やま)の物語」を作っている。この本は、その時の撮影中、そして映画完成後のさまざまなエピソードとそこから発する問いが中心となっている。

タイトルを見てわかる通り、「むかし」と「いま」に続く言葉が常識とは逆になっている。著者が「まえがきに代えて」で書いているように、炭鉱と原発という日本のエネルギーを支えてきた産業が、いかに複雑にからみあい、もつれあい、日本の社会を形作ってきたかが描かれている。描かれているのは、三池炭鉱の姿だが、その非情の歴史が、いまの原発の問題と全く同根のものであることもわかる。

しかし、「まえがきに代えて」に添えられているように、「炭鉱は文化を生み出したが、原発は文化を生み出さなかった」という大きな違いもある。炭鉱労働は、本書にも書かれているように多くの差別と抑圧に支えられながら日本の資本主義を牽引してきたが、それでもそこに生きる者が生活と労働の中から力強く生み出してきたものがあった。だが、原発が生み出すのは、処理しきれない放射性廃棄物と生活(生命)の破壊だけだ。そのことの意味をもう一度深く受け止めながら、私たちの未来を選択していく道を見つけだしていきたい。

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