Grass Roots

東日本に生まれ育った彷徨える民として
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あきらめない
昨日、政府が関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を決定した。これを受けて、他の原発も再稼働させようという動きも活発になっている。
でも勝負はこれからだ。
あきらめずに、1つ1つの原子力発電所の廃炉への道筋をつけ、そのための法案や制度を整え、原子力エネルギーに頼らなくても生きていける社会を作っていくしかない。
そのための第1段階としては、この愚かな決定をした政府に退陣を促してもらうこと。その閣僚の名前をしっかり記憶にとどめ、二度と国会に出てこられないようにすること。彼らに力を与えないこと。
民主党も原発再稼働に反対する国会議員がたくさんいながら、政府になんら影響を与えることができなかった。こんな与党になんの意味があるのだろう。消費税にしてもTPPにしてもこの調子で決定していくつもりなのだろうか。自民党ともども、さっさと解党なり分裂するなりして、争点をはっきりさせないと、国会などなんの意味もないものになってしまう。本当の「危機」を作り出しているのは、この機能不全の国会なのだが、変わるつもりがあるのだろうか。
「100,000年後の安全」までもまだまだ遠く
「100,000年後の安全」までもまだまだ遠く

原発ゼロ6日目。

今日は本ではなくて、映画のことを書く。

昨年上映された「100,000年後の安全」は見ただろうか?
フィンランドでの核廃棄物最終処理施設「オンカロ」建設をめぐるドキュメンタリーだ。

去年、渋谷の小さな映画館(UPLINK)で上映されていたのを見に行ったが、見終わった後で、気の遠くなるほどの長い時間を想像しようとしたが、想像すらできなかった。もう人類さえ存在しないかもしれない未来の話なのだ。

原発がこのまま停止し続けて廃炉になるという幸運が訪れたとしても、その処理にかかる時間と費用がどれくらいになるのか、考えると気が遠くなりそうな現実がある。
原発の停止は終わりではなくて、小さな始まりでしかないという現実を、忘れないようにしたい。

今はDVDが出てレンタルビデオ店にもある。新作期間も過ぎたので安く借りられるはず。

YouTubeで予告編を見ることもできる。
宇井純の『公害原論』を読み直す
原発ゼロ5日目。

『公害原論』にすべてが書かれていた、と言ったのは東京新聞の「こちら特報部」でデスクをやっている牧さんだった。それを聞いたとき、ああそうだった、なんで今までと思った。

手元の『公害原論1』の初版は1971年、これは19刷なので1980年のだが、紙は焼けて茶色くなっている。宇井さんが東大の工学部助手として自主講座を続けてきた記録がこの本だ。

水俣病を巡って、政府や企業、学会が行なってきた対応のすべてが、現在の原発の状況とそっくりそのままだったのだ。水質基準の作られ方、公正な第三者というインチキ、都合の悪いデータを隠し、批判者をつぶし、反対運動を分断していくやり方。

宇井さん、すみません。私たち、いや私は、宇井さんの仕事をただ目で追っていただけでだった気がします。この30年間、いったい何をしていたのでしょう。