Grass Roots

東日本に生まれ育った彷徨える民として
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仙台そして石巻へ
ようやく仙台方面への交通の便が増え、高速バスが予約できたので、4月1日から3日まで仙台の実家と友人のいる石巻に行ってきた。

緊急車両とバス、トラック以外はあまり走っていないせいか東北道はすいていて、途中、佐野と安達太良のSAで休憩しても、5時間余で仙台に着いた。福島県内に入ると多少ガタゴトしたが、補修工事の手際が良かったのか、震災の跡を感じさせる路面のいたみも少なかった。

福島県内に入ると緊急車両、特に消防と警察の車両の多さが目立つ。休憩した安達太良SAでも全国各地から来ているパトカーと消防車を目にした。また、トラックに積まれたショベルカーも多かった。

白石あたりからは、沿道の家屋で屋根瓦の破損している家が目に付き、屋根にブルーシートをかぶせているところがいくつもあったが、倒壊しているように見える建物はなかった。

仙台駅東口に着く。仙台駅は東西を結ぶ出口も開通し、この日から営業を開始したらしい駅地下の商店街エスパルには買い物客がたくさんいた。駅の上部はまだ修復中でシートで覆われている。歩道橋もあちこち修理中で登れる階段が少ない。しかし、駅周辺で倒壊しているような建物は見えない。実家まで市営バスに乗って行ったが、途中の青葉通り、電力ビル前、県庁市役所前などでも倒壊した建物は見かけないし、道路に瓦礫などもない。

仙台の実家は青葉区でも山の方。かつては「ニュータウン」だったが、今は高齢化が進んでいる一角。1978年の宮城県沖地震のときにはこの辺りでもかなりブロック塀が倒れる被害が出たが、その後、対策が進んで今回の地震では建造物の大きな損壊は少なかったようだ。実家も目に付く歪みなどもなかった。タンスなども倒れなかったし、窓ガラスも割れていなかった。

地震後5日間は停電で、断水も1週間くらい続いたが、現在ではガスが通じていないだけで、電気・水道は確保されている。お風呂には入れないが、携帯コンロや電子レンジなどにより温かい物も食べられるようになった。
近所のスーパーも震災3週間後の現在では食材や雑貨品などが豊富にある。牛乳やパン、お米はもちろん、肉、魚、野菜、果物などの食材も豊富。都内では貴重品の2L入りミネラル・ウォーターも点数限定ながらちゃんと並んでいた。それでも震災後1週間くらいは1時間以上も並んで限られたものしか手に入れられなかったという。
スーパーの豊富な品揃えを見た後では驚くが、市街地のコンビニにはほとんど商品がない。チェーンによって違いはあるようだが、ガラガラの棚が目立った。配送ルートの問題か。

同じ仙台でも海沿いの若林区など津波の被害を受けたところと、地震のみの所ではまったく様相が違う。宮城県沖地震は近いうちに起こると言われていたし、仙台は近年何度も地震に見舞われているせいで耐震化などが進んでいたのだろうと思われる。他の建物に比べて仙台駅のホームなどがひどく破損していたようなのが気になるけれど。

翌日、石巻に向かう。石巻行きのバスも4月に入って増便され、宮城交通が1日に22往復走らせていた。バス乗り場の前のさくらの百貨店は壁にヒビが入っていて補修工事をしている。バスは仙台駅前から石巻消防署前までノンストップで三陸道を進む。三陸道からはほとんど海が見えない。かなり山の中を走っているのだ。海岸線を走る仙石線と違って津波の直撃を受けなかったので復旧が早かったのだろう。
石巻に近づくと大渋滞でなかなか進まない。何しろ三陸道の出口とつながっている石巻バイパスが唯一の幹線道で女川方面に行く車もそこを通る。他の市街地の道路は津波に直撃されてほとんど使えないせいだろう。ガソリンスタンドはほとんど営業していないが、わずかに営業しているスタンドには給油待ちの長蛇の列。

石巻消防署の前の空き地には自衛隊の車両が並び、お風呂を設置し避難所からバスで避難者を運んで入浴させていた。被災地では貴重なお風呂だ。
風が強くて埃が舞っている。火事になっているわけでもないのに、少し煙でいぶされたようなにおいが漂っている。舗道の敷石はボコボコで、あちこちに泥がかたまっている。
消防署から開北小の前を通って石巻バイパスから大橋を渡る。大橋では渋滞した車が並んでいるが歩いている人はいない。渡っている間に自転車が2台通っただけで、人は歩いていなかった。渡った先は目指す湊地区だ。不動町、八幡町など、なじみのある町なのだが、かつての面影はほとんどない。道路沿いには瓦礫が並び、放置された車両や津波で乗りあげてきた船の残骸が並んでいる。所々で給水をしていて、そこには人が並んでいる。時おり、ボランティアらしい若者が瓦礫を片付ける姿も目にするが、それも少ない。

この辺りは卒業した小学校の学区で、かつての同級生がたくさんいた。もう40年も前だからここいらには住んでいない人も多いだろうが、なんとも嫌な気持ちだ。
友人が避難している高台の家に寄ってささやかなお見舞いを渡し、八幡町の交差点から中瀬に向かう。石ノ森章太郎記念館のドームのような建物だけが残っている。
もちろん湊地区でもコンクリートの建物は残っていたが、近づくと中はぐしゃぐしゃになっていた。大きな道は車が通れるように片付けられているがほとんど車も通らない。信号ももちろん点いていない。

橋を渡って中央通りへ。かつては市の中心の商店街だったが、ここも船や自動車がお店を直撃している所がいくつもあった。とぼとぼと住吉方面に向かう。海からだんだん離れていくと浸水だけで建物は壊れていない民家が増えてきて、家の中から水に浸かった家財を道に出して片付けている人たちが増えてくる。
もっと歩きたかったが、徒歩ではこの程度でも2時間近くかかった。後ろ髪を引かれたが、帰りのバスに急ぐ。また来よう、そう思いながらバス乗り場に向かった。

行きのバスでは、ボランティアらしい若者や実家から離れていて被災した家族に会いに行くのだろうと思われる人が多かったが、帰りのバスでは、被災地から離れようとしている人たちが多いようだった。ランドセルを持った小学校低学年くらいの子どもとお母さんの姿もあった。

安達太良SA
安達太良SAで

石巻1
石巻市八幡町陸橋

石巻2
石巻市八幡町辺り

石巻3
石巻市中瀬付近

石巻4
石巻市中央2丁目

石巻5
石巻市中央2丁目

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コメント
from: 興野康也   2011/04/04 11:50 PM
楢木さんも以前からブログをされていたんですね。今回初めて知りました。仙台の落ち着きと比べて石巻の被害の生々しさは凄絶なものですね。楢木さんが直接現場に行って見てこられた情報は、報道される一般的な情報とは全く質の違うものです。これからも楢木さんの世界をこのブログを通して発信されてください。
from: ならきゆうじ   2011/04/06 7:24 AM
コメントありがとうございます。仙台も、私が行っていない沿岸部は別世界です。津波が来た所と来ていない所で、全く様相が違っています。沿岸部を立て直すにはこれから長い時間がかかると思いますが、それ以前に原発をなんとかしないと、根本的にどうにもならないですね。
from: おぐに   2011/04/06 10:07 PM
仙台のこと、ご報告ありがとうございました。
「青葉区で、山側で、かつてはニュータウン」「電気と水道はOKだけど、ガスはまだ」って、もしかして、うちの義父母宅と似てるかも。
ちなみに、うちは、折立の隣の、西花苑、です。
石巻にも取材で行ったことがあるし、気仙沼大島あたりも家族でよく出かけた場所なので、たまらない思いです。また、拝読しにうかがいますね。
from: ならきゆうじ   2011/04/06 10:27 PM
おぐにさん、ありがとう。折立は今日の毎日新聞夕刊によればかなり被害があったところもあるようですが、西花苑は大丈夫だったんですね。うちは中山です。気仙沼の大島は小学校のときに臨海学校に行ったし、子どもたちとも行きました。東松島の野蒜や南三陸の志津川も海水浴に何度も行ったし、女川もサイクリングに行ったり。岩手にも住んでたので、釜石や宮古、陸前高田も思い出せばきりがありません。
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